□ 自然を慈しみ美を愛するPhotoLife /  BGM-G線上のアリア
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千利休が生み出した破たん児  ”古田織部”

やはり自害により人生を清算した茶人 ”織部お前もか” になってしまった。
だからこそ苦悩の人生でもあったといえる。



ここから本筋に入りますがその前にちょっと一服俳画など管理人作です

次回明日は街道を行くシリーズ・古い町並み三重関宿を掲載します。


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利休流の茶道は、一人の鬼子を生み出します。
古田織部です。
利休の弟子の中で古田織部は、際立った特質を見せています。
その持ち前の茶道への素質それは利休も目をみはるものがあったといわれます。
独立性と創造性どれをとっても利休に勝れ利と言わしめるほど素晴らしい才能の保持者だったといいます。
★利休も認める利休をも超える素質のある織部の素質をいち早く見抜いていたのも利休ではなかったろうか。

古田織部の茶道を、どのように捉えたらよいのでしょうか。
古田織部は、動中に美を捉え、織部の茶道は、武人的な本質から生じたものだとされています。
また、織部は、目につく美をあらゆる形において表現しようと努め、その好みは武家風の雄大な力強いものであったとされています。
★元来武士の家に生まれた織部にしたら自然と武士としての力強さ雄大さなど表現しやすいのは当たり前だろう。 

目立たない調和のとれた美を求めた利休の茶道とはあまりにも違う織部の茶道は、どのように利休の茶道につながるでしょうか。
おそらく、日本の美を追及しようするという利休茶道の本質を、古田織部ほど感覚的に理解していた弟子は他にいなかったように思われます。
利休のような繊細な感覚を持ち合わせていなかった織部は、自分流のやり方で日本の美を追求しようとしたのでしょう。
今日でもなお、織部好みの茶道具がわれわれを日本人の心をとらえて離さないのは、それゆえではないでしょうか。「かぶく」美の表現だとされる織部茶碗は、利休が造らせた楽茶碗にも並ぶ純和風の美を備えているように思われてなりません。


千家の茶道の本系は、娘婿で養子の少庵から孫の宗旦へと受け継がれていきます。

利休には、独創性に富み、非常にすぐれた茶人であった道安という長男がいました。

道安は、気性が激しく、温和な少庵とは対照的であったと言われています。
生前の利休は、道安に強い期待を持っていたようです。
しかし利休と道安は相容れない一面もあったように思われます。

 
宗旦の同時代の人々には、綺麗さびの小堀遠州、姫宗和と呼ばれた金森宗和、楽茶碗に独自の境地を開いた本阿弥光悦などがいます。
まさに茶道第二期黄金時代といえるような状況でした。
この頃になると、利休の茶道に強く縛られることも無く、それぞれが独自の茶道を追及するようになってきていたように思われます。
その中にあって、あくまでも利休流茶道にこだわったのが、利休直系の宗旦でした。
利休の二人の息子、道安と少庵から利休流茶道を学んだ宗旦は、利休の茶道のすべてを習得していたと言ってもよいように思われます。
★道安と少庵からそれぞれ学び取る茶道は後世に受け継がれていると信じます。



では、ここで古田織部が作り出す、茶器”織部焼き” とは。

織部焼き:へうげもの
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織部焼き:織部黒茶碗
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織部焼き:青織部
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織部焼き:織部中皿
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織部焼き:織部鉄絵抹茶碗
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瀬戸黒茶碗と同じように、黒釉が器の全体を包んで、文様のないものを黒織部という。
そこで瀬戸黒と織部黒の違いは、作為にあって、瀬戸黒は端正で左右の釣りあいがとれて均斉であり、姿は半筒型で腰は張る。 高台もまた低いものを指す。
一方、織部黒は造形としては歪みをもつ、すなわちロクロ成形のあと、思い切って変形させ、その上に櫛目、削り目をを入れるなどして、形そのものがダイナミックであって、高台もいろいろ変化させている。
★古田織部の作る織部焼きを俗にへうげもの、とゆう。
ロクロ作成以外の形を壊す美その美しさに美を見出した織部、近世の取れた茶気を望む利休と比べるとまったく正反対の構想のもちぬしでもあったのだろう。

前者が利休好みの楽茶碗に代表され、後者は織部の性格そのものの如く、沓形茶碗といわれるものとなっている。
豪放で、いかにも武家にふさわしい雰囲気を感じる。
また、瀬戸黒は天正年間(1573~92)につくられたと推定されるところから、「天正黒」あるいは「引き出し黒」と呼称することがある。

★古田織部の作り出した深い緑の色合いその色合いを作るのに釉薬を調合その比率を変えたりとそれが織部の茶気の特徴かもしれない。
現代も飽きることなく大勢に愛される茶気として形を変え現存しているのは素晴らしいことだと思う。

茶道も紆余曲折・・・・時代は進み
宗旦は、利休にならい楽焼三代目道入にのんこう茶碗を焼かせ、中村宗哲に宗哲棗を作らせました。
また、飛来一閑には、一閑張りという独特の漆器を作らせました。
さらに、宗旦は、三男の江岑宗左に利休相伝の不審庵を、四男の仙叟宗室には、自分が営んだ今日庵を譲り、千家茶道の基礎固めをしました。
★現在裏千家表千家がそれぞれお弟子さんを持ち増やし、元祖利休の志を受け継いで脈々と広められている。


茶道を継承するとは、先人の考えを理解し、それを自分のものにすることだといえるでしょう。
時は流れ時代が変わろうと受け継がれた和の心、茶道における侘びとさび何も茶道にかかわらず、どこにでも詫びさびの世界はあるもの、あなたなりの詫びさびを味わえれば人生潤うそうおもうのです。


私は思う和の心日本の侘びさびとは

たまには一本の花を生けてみよう
ふと歩いていて道端の草花に心移してあげよう
流れる雲を眺めて遠い昔茶を清めた先人がいたことを思い出そう
そして自分なりの日本の心を育てよう。


茶改まってお手前をしなくてもあなたの心がそうであればいいのだろう。
普段着の茶道単に湯飲みにおいしいお茶入れてゆったりと思いをはせながら飲む一服最高ではないか。

私はそんな、普段着のお茶好きです・・・・・・・・・・。


テーマ:写真日記 - ジャンル:写真



















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