□ 自然を慈しみ美を愛するPhotoLife /  BGM-G線上のアリア
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戦国時代から千利休の詫びさびが今まさにここに受け継がれる

師弟:片桐石州により受け継がれ現代に通じる茶道を見る



ちょっと管理者作:俳画ご覧くださいね~
気持ちをきりかえて一休み・・・・・

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石州流の祖その人片桐石州とは!!!  茶道石州流とは!!

千利休の長男・千道安からその弟子桑山宗仙へと伝わった茶系で、江戸初期に桐山石州が開いた一派です。
小堀遠州の跡を継ぎ、将軍家茶道師範となった。利休から道安を経て宗仙に伝わった茶の湯を学び、武家流茶道を完成。


★慶長10年(1605年)、初代藩主・片桐貞隆の長男として摂津茨木で生まれる
大和小泉藩の第2代藩主。別名 鶴千代(幼名)、片桐貞俊(初名)、片桐石州(通称)諡号 宗関
父母 父:片桐貞隆、母:今井宗薫の娘 兄弟 片桐貞昌、片桐貞晴
妻 正室:大久保忠常の娘 子 片桐信隆(長男)、片桐信明(次男)、片桐貞房(三男)、松田貞尚(四男)


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茶人として貞昌が成功したのは、母方の祖父が有名な茶人のひとりである今井宗久だったからかもしれない。


戦国時代の茶道から江戸初期へと移り変わる詫びさび小堀遠州へと受け継がれ、長き年月を経て片桐石州に受け継がれた。

茶人としての石州は、最初、千利休の長男・千道安の流れを汲む桑山宗仙に学んだといわれている。
30歳の頃からは大和郡山藩主・松平忠明や近江小室藩主・小堀政一(遠州)らともよく茶席を共にしているほか、奈良の茶人とも交遊を深め、茶の宗匠として次第にその名が広がっていった。
特に第4代将軍・徳川家綱のために『茶道軌範』を作り、なおかつ寛文5年(1665年)には家綱の茶道指南役となり、石州流を不動のものとした。


石州の門下から、怡溪派(いけいは)、野村派、宗源派、伊佐派、鎮真派、大西派、清水派、野田派、不昧派(ふまいは) などがでています。

片桐石州の影響を受けた幕府人といえば井伊直弼、伊達綱村、保科正之、松平不昧などが後世に名前がのこる茶人といえます。
片桐石州69歳で没するまで茶人として人生をまっとうしたといえる。


■では、石州の志した茶道とは!

水屋
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床の間
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石州の茶の湯は、千道安(千利休の長男)の流れを汲む桑山宗仙から学んだものである。
利休本来の茶の湯の精神を継承しつつ、時代の流れである武士中心の世の中に調和させた「分相応の茶」を説いたことが、将軍家をはじめとして諸大名達に受け入れられることとなった。

石州に茶の湯を学んだ人物としては、徳川四代将軍家綱・水戸光圀(関連項目)・堯然法親王・松浦鎮信・藤林宗源・清水動閑・大西閑斉・保科正之・怡溪宗悦・野村休盛などが挙げられる。彼らがさらに全国各地へ石州の教えを広めたことから、後に茶道ができてからは「石州流」となり、怡溪派・清水派・鎮信派・伊佐派・宗源派・嘉順派・大西派・大口派・古石州・宗猿派・不昧派・野村派・林泉寺派・古閑堂派など多くの派に分かれている。


基本的には古田織部に似た風合いであり、基本は武家の茶道であったといわれる。
優雅さの中に力がありそのたくましさに詫びさび利休が愛した侘びとさびの世界がうまく絡み合うそんな茶道ではなかったかと思います。
一期一会を井伊直弼が愛したといわれますが、その精神は片桐石州から学んだともいわれております。

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石州の茶道の理想が、「侘びの文」にいう侘び茶にあったことは明らかであるが、これにとどまらず、「石州三百箇条」においては、武家風の貴族茶と奈良・堺風の庶民茶の融合を試みている。



大和郡山市にある慈光院。

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慈光院参道
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江戸時代、大和郡山小泉藩の藩主であった片桐石見守貞昌(片桐石州)が菩提寺として父のために建立した臨済宗大徳寺派のお寺です。


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