□ 自然を慈しみ美を愛するPhotoLife /  BGM-G線上のアリア
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東海道の往時の面影を唯一残す歴史的町並みとして今も保存されている。


車を駐車場においてフラット歩く、ある角を曲がるとそこにあるのは、江戸時代と見まがう宿場町の風景だ。
ほら!その畑がある横の道そこから手ぬぐいを頭にかぶりざるなんかもって野菜売りのお姉さんがふと姿を現しそうなそんな道なんですから、どこか懐かしい道なんですからね。
一緒にあるいてみましょう~



三重県亀山市内には東海道の三つの宿がある。
江戸~京都をつなぐ東海道。
亀山市には、その46、47、48番目にあたる3つの宿場町 亀山宿・関宿・坂下宿があります

そのひとつ、江戸から数えて47番目の関宿は、東海道で唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれている。

江戸時代の関宿の名物・特産品として火縄がありました。
火縄は火奴ともいい、鉄砲に用いたため大名の御用がありましたが、道中の旅人が煙草などに使うためにも購入しました。
新所を中心に数十軒の火縄屋があり、山車【やま】が曳き出される関宿の夏祭りも良く知られていました。
狭い関宿を最盛期には16基もの山車がねり、「関の山」 という言葉まで生まれたほどでした。当時の賑わいが偲ばれます。

明治時代になり宿駅制度が廃止されても、往来する旅人の数はむしろ増加し宿場は栄えていましたが、明治23年の関西鉄道(現JR関西本線)の開通によって大きな打撃を受けます。
町の産業の中心であった往来稼ぎの商売が成り立たなくなったためです。
その後は、国道1号線が旧街道からはずれた位置を通ったこともあり、近隣に生活する人々のための商業地として徐々に静かな町 へと変化し、現在に至るのです。

昔から宿場として栄えた町並みも近代の車社会から離脱脇街道の運命をたどることに。
だからこそ静かな町並みとして現在も保存されているのかもしれない。
この関宿田園風景が残るところにあるこんなのどかな風景とマッチする宿場後世にもこのままで残してほしいとねがいます。
■関宿遠景
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1・8キロに及ぶ一本道に400あまりの建物が並び、うち半分以上が伝統的建造物。
当時からの細工瓦やしっくい彫刻もあちこちに見える。
当時をしのぶ白壁の家々、屋根に設けられたうだつ、豪商の家に見られる海鼠壁、当時の宿場の繁栄と賑わいを感じ取ることができる、ふとその横路地から昔の旅人が飛び出してきそうなそんな妙に親しみやすい感じさえする。

町並みや虫籠(むしこ)窓(=建物の二階にある漆喰の堅格子の窓)、関宿の特徴である少しカーブした屋根の形などを楽しみながら散策します
この虫小窓外からは見通せない感じですが中からは通りがよく見えるようになっている。
これも先人の知恵が生み出したものでしょうか。

■虫籠(むしこ)窓
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■朽ち果てていますが虫窓
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この宿場は、古くは古代三関のひとつ鈴鹿関が置かれ、奈良、伊勢への分岐点でもあった。
この宿場に止まり英気を養い再び長い旅へと旅立ったのでしょう。

【関宿の規模】
本陣:2 脇本陣:2 旅籠:42 総家数:623軒 宿内人別 1,942人(男:1,008 女:934)

★ここで宿について復習してみます。当時旅をする人は三箇所の宿がありました。
武士でも身分の高い人は本陣に泊まりました、本陣とは当地の豪商あるいは庄屋がかねておりました。
それよりも身分がしたの家来などの武士は脇本陣などに止まりました。
旅をする町人は旅籠に一般的に止まります。
町人の中でもお金の持ち合わせがない人は食事がつかない相部屋の木賃宿に泊まったといわれています。



この関宿で、かつて旅籠だった「関宿旅籠玉屋歴史資料館」町家だった「関まちなみ資料館」に入ると、当時の建物の様子がわかる。

■関宿旅籠玉屋歴史資料館
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江戸時代末期に建築された町屋で、関宿を代表する町屋建築の一つだそうです。
町屋で使用されていた道具や家具などが展示されています。
今も現役の「箱階段」も必見!

★「箱階段」
現在はあまり見ることもなくなった箱階段、昔は階段下を有効に活用するため小さく引き出しが作られ今の収納スペースとして大いに活用していた。
現在はあまり見かけなくなりました。

■昔の箱階段
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★当時の宿および商家とは

関宿の町屋は、平入(ひらいり)で低い二階建ての構成を持つものが一般的です。
一部には平屋のものや妻入(つまいり)のものも見られます。
前面は1階と2階の柱筋を そろえ、間に瓦葺や厚板葺の庇を設けます。
この庇がならぶことで、町並みは整った 美しさを見せています。前面の意匠は、1階はすりあげ戸が普通でしたが、 出格子窓が付けられていたり、格子戸を付ける例が多くなっています。
一方2階は、木部をあらわした真壁(しんかべ)のものと、 漆喰で塗籠(ぬりご)めた大壁(おおかべ)のものが併存しています。
この二階部分に虫窓が設けられています白い漆喰壁にとてもあっている気がします。

このような町屋の建築年代は、最も古いもので18世紀中頃と見られ、明治中頃までの時期のものが多くあります。
また、明治後期から大正・昭和期にかけての町屋には、二階が発展して建ちの高いものもあります。

細部の意匠を見ると、庇下の幕板、軒の持ち送り繰り型、二階外壁面の窓額縁や漆喰細工、起り屋根、格子、建具など、細部の意匠に工夫されたものが多くあります。
このような外観や細部の意匠の多様性は、不特定多数の人々が行き交う宿場町の町屋にふさわしいものと言えます。

間口は狭いが、玄関から細長く土間が伸び、座敷から中庭を挟んで、離れ、蔵と続いていく。
これが関宿の間取りの典型で、奥行きの平均は40メートル以上もあるという。
どのいえいえも間口が狭く奥行きが広いいわゆるうなぎの寝床なのである。
奥には中庭が配置しておりゆったりとした間取りになっている。

現在も保存されている商家に入ると置くが長く当時の仕事がやりやすいように、随所に様々な工夫が施され現実に暮らしていく上において使いやすく人にやさしく風通しもよく居心地はよかったように思える。
ゆったりと配置された座敷、室内から外の通りを見通せる格子ブライバシーを程よく守りながらしかも、当時のようなおおらかさを兼ね備えた住まいだと感嘆しました。

また当時は時の流れもゆったりとそれが随所に見られるそんな配慮が伺えます。


■町家に用いられた漆喰瓦
中央の白い飾り部分家の持ち主が子孫の反映を願って各家々にデザインが施されているといわれています。

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★明日は昔有名な旅籠(会津屋)現在はそばやおこわの食事どこをしているお店や、その道路を挟み前の地蔵院有名な故事もある古いお寺をお伝えしたいと思います。
一休禅師の知られざるお話も聞けるかも知れないですよ是非ご覧ください

テーマ:写真日記 - ジャンル:写真



















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